福岡地方裁判所 昭和55年(ワ)2335号 判決 1982年6月22日
原告
吉田光伸
ほか五名
被告
西日本鉄道株式会社
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告吉田光伸に対して金五五〇万円、原告吉田玲子及び原告吉田富士子に対してそれぞれ金五〇〇万円、原告吉田廣吉、原告吉田サヤカ及び原告吉田キノに対してそれぞれ金五〇万円並びに右各金員に対する昭和五五年六月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (事故の発生)
訴外亡吉田広光(昭和五二年七月七日生、以下「広光」という。)は、昭和五五年六月一〇日午前八時一五分ころ原告吉田光伸(以下「原告光伸」といい、原告らの姓を省略する。)が手押しによつて運転する農業用改造コンバインに乗つて、福岡県三潴郡大木町大字八丁牟田所在の被告会社経営の鉄道(通称西鉄大牟田線)の八丁牟田一号踏切(以下「本件踏切」という。)に差し掛り、東側から西側に向けて横断しようとした際、折から本件踏切を通過すべく福岡(北)方向から大牟田(南)方向に進行して来た成澤司郎運転の特急電車の前部に衝突して跳ね飛ばされ、同所において即死した。
2 (責任原因―土地の工作物の瑕疵責任)
(一) 本件踏切における軌道施設は、被告会社が占有しかつ所有する土地の工作物であるところ、本件事故発生当時次のような客観的状況下にあつた。
本件踏切は、西鉄大牟田線八丁牟田駅の南にある。同駅付近において、鉄道は複線でほぼ南北に通じており、その軌道をはさんで両側に、長さ約一〇〇メートル、高さ約一・五メートルのプラツトフオームがある。その東側に幅約一・六メートルの農道が南北に走り、この農道が右プラツトフオームの南側約八メートルの地点で西に向きを変えて軌道敷とほぼ直角に交差している。ここに本件踏切が設置されている。本件踏切を横断しようとする場合、右プラツツトフオームが視界の妨げとなるため、福岡方向から走行して来る電車を確認するには、横断者は本件踏切の軌条直前まで進行しなければならず、また、福岡方向は、八丁牟田駅から約五〇〇メートルないし六〇〇メートル先で軌条か西方に曲折しており、上下線電車の離合場所となつている。本件踏切を通過する特急電車は本件踏切付近を時速約一〇〇キロメートル以上の高速で走行していた。
右のような状況にあつたにもかかわらず、本件踏切には、その東側にこれを横断しようとする歩行者等に対して注意を促す標識が設置してあつただけで、遮断機、警報機その他電車の接近を知らせるべき保安設備を欠いていた。右保安設備の欠缺は、土地の工作物である踏切道の軌道施設の設置に瑕疵がある場合に該当する。
(二) 仮に本件踏切に右保安設備が設置されておれば、原告光伸は走行電車の接近する軌道内に広光を乗せた前記コンバインを進入させることはなく、したがつて、本件事故を未然に防ぎえたはずであるから、本件事故は、右鉄道施設の瑕疵より生じたものである。
3 (損害)
(一) 葬祭費
原告光伸は、広光の葬儀費用として、金五〇万円を支出した。
(二) 広光の逸失利益
収入金額として賃金センサス第一巻第一表の産業計企業規模計の男子労働者の年収額に昭和五三年統計によるベースアツプ分として五パーセントを加算した額(金一三四万五五七五円)を基礎にして就労可能年数は一八歳に達した時から六七歳までの五〇年間とし、養育費を控除せず、控除すべき生活費割合を五〇パーセントとし、ホフマン式により中間利息を控除して広光の逸失利益を算出すると、金一二三〇万一九一〇円となる。
(三) 慰謝料
(1) 広光について金一〇〇〇万円
(2) 広光の祖父である原告廣吉、祖母である原告サヤカ及び曾祖母である原告キノについてそれぞれ金五〇万円
(四) 広光の損害賠償請求権の承継
原告光伸、原告玲子は広光の父母であり、他に広光の相続人はいない。よつて、同原告らは、広光についての逸失利益及び慰謝料の合計金二二三〇万一九一〇円の請求権をそれぞれの相続分に応じて相続するところ、各自右金額の三分の一ずつを自己に留保し、その余を原告富士子に譲渡した。
よつて、原告らは、被告に対し、以上の損害賠償請求権を有するところ、原告光伸は広光から相続した分のうち金五〇〇万円と葬祭費の合計金五五〇万円、原告玲子は広光から相続した分のうち金五〇〇万円、原告富士子は原告光伸らから譲渡された分のうち金五〇〇万円、原告廣吉、同サヤカ、同キノはそれぞれ金五〇万円及び右各金員に対する本件事故の日である昭和五五年六月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実につき
(一) 同(一)の事実のうち、本件踏切を通過する特急電車が本件踏切付近を時速約一〇〇キロメートル以上の高速で走行していたことを否認し、その余の事実は認める。本件踏切道の軌道施設の設置に瑕疵があつたとの主張は争う。
本件踏切は、その手前から福岡方向に向けて六〇〇メートル以上を見通すことが可能である。特急電車は本件踏切付近では時速約九五キロメートルで走行するから、本件踏切の六〇〇メートル手前の地点から本件踏切までの区間を走行するのに要する時間は、約二二・七秒である。他方、本件踏切における上下線の接触限界線間の距離は約六・四メートルであり、時速約六キロメートルで歩行する歩行者がこれを渡り切るのに要する時間は約三・八秒である。したがつて、特急電車が本件踏切の六〇〇メートル手前の地点に差し掛つた時に歩行者が本件踏切の横断を開始したとしても、電車が本件踏切に到達するまでに渡り切るだけの十分な時間的余裕がある。また、時速九五キロメートルの電車の制動距離は四一七・五メートルであるところ、見通し可能距離が制動距離を越えているから、電車運転士が本件踏切を横断せんとする人車を見通し可能距離である六〇〇メートル手前で発見し直ちに急停車の措置をとればこれと接触する危険はない。本件踏切における本件事故当時の一日当りの換算道路交通量は一〇一八であり、当日の鉄道交通量は一七〇回であつた。「踏切道の保安設備に関する運輸省令」に定める踏切警報機、遮断機等を設置すべき道路交通量の基準値は三五〇〇であるから、これを大幅に下回る。本件踏切東側入口路上には、一時停止の白線と「とまれ」の大きな白文字が鮮明に表示されていたほか、左右には、「見よ、左右」、「踏切、止まれ」等の踏切注意板が立てられていた。さらに、被告会社は、福岡駅から大牟田駅へ向かう電車には、本件踏切の手前約二七〇メートルの地点で警笛を吹鳴させるよう電車運転士に指導しており、現に、本件電車の運転士成澤司郎は右地点において警笛を吹鳴した。本件踏切付近は閑静な田園地帯であり、本件踏切を横断しようとする者が警笛を十分聞き取りうる状況にある。その他被告は、今日まで踏切の統廃合、保安設備の整備等に可能な限りの企業努力をしてきた。
以上により、本件踏切には、右注意標識の設置以上に踏切警報機等の保安設備の設置までもしなければならない理由はないから、本件踏切における軌道施設に瑕疵があるとはいえない。
(二) 同(二)の主張は争う。
本件事故は、原告光伸が踏切横断の際左右の安全を確認し電車の進行に注意すべき義務があるのにこれを怠つたか、もしくは、本件電車の接近を知りながら電車の直前をあえて横断せんとしたか、いずれかの過失に起因するものである。
3 同3の事実のうち、原告らと広光との関係は知らない。その余は否認する。
第三証拠〔略〕
理由
一 請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 本件踏切における鉄道施設が被告会社の占有しかつ所有する土地の工作物であることは当事者間に争いがないから、その設置保存の瑕疵の有無について検討する。
1 本件踏切が西鉄大牟田線八丁牟田駅の南にあること、同駅付近において、鉄道が複線でほぼ南北に通じており、その軌道をはさんで両側に長さ約一〇〇メートル、高さ約一・五メートルのプラツトフオームがあること、その東側に幅約一・六メートルの農道が南北に走り、この農道が右プラツトフオームの南側約八メートルの地点で西に向きを変えて軌道敷とほぼ直角に交差していること、ここに本件踏切が設置されていること、本件踏切には、本件事故当時遮断機、警報機の設備がなかつたこと、本件踏切の東側に本件事故当時、踏切を横断しようとする歩行者等に対し注意を促す標識があつたことは、当事者間に争いがない。
2 成立に争いのない甲第六号証の一ないし五、二四、同第一一号証、同第一三号証、同第二六、第二七号証、乙第一号証、同第三号証の一、同第五号証、原告ら主張の写真であることに争いのない甲第六号証の六ないし一三、二〇ないし二二、同第三一号証の一ないし六、証人鎌田耕治の証言、原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸尋問の結果、検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 八丁牟田駅周辺は農村地帯であつて、本件踏切は、幅員一・六メートルの舗装道路が軌道に七八度の角度で交差し、軌道敷内の上下線の接触限界線(軌条から約〇・七メートル、電車車体から〇・一メートル外側の線で、プラツトフオーム縁の線の延長線と一致する。)間約六・四メートル、本件踏切東側の一時停止線から西側の接触限界線までの距離は七メートルで、幅員二ないし二・二メートル、本件踏切内には木や石が敷かれている。本件踏切と八丁牟田駅プラツトフオーム南端との間は、約八・七メートルである。
(二) 本件踏切東側にある一時停止線から北(福岡方向)へは直線の軌道約六〇〇メートル位を見通すことができるけれども、一時停止線の手前二メートル位の地点に直立した場合には、前記プラツトフオームが障害となつて、福岡方向を見通すことはほとんどできない。したがつて、八丁牟田駅に停車する下り普通電車の発車を見ることはできるが、同駅を通過する下り特急・急行電車等の接近の有無は、少くとも一時停止線上まで出なければ確認することはできない。
3 前顕甲第一一号証、同第一三号証、同第二六、第二七号証、証人鎌田耕治の証言によつて真正に成立したと認められる乙第四号証、同証言、原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸尋問の結果、検証の結果によれば、次の事実が認められる。
(一) 被告会社が昭和五三年七月五日調査した本件踏切における一日の道路交通量は、歩行者二五人(同日午前一一時から午後〇時までの一時間には六人、以下括弧内の数字も同じ。)自転車一一五台(五台)、軽車両(自転車を除く)三台(なし)、原付及び自動二輪車四九台(九台)、普通貨物自動車(自動二輪車及び自動三輪車以外)一三台(一台)であつた。
(二) 昭和五六年九月二八日午前一一時から五〇分間の本件踏切における道路交通量は、歩行者二人、自転車五台、スクーター二台であつた。
4 前顕甲第六号証の三、六、八ないし一〇、二〇ないし二二、同第一一号証、同第一三号証、同第二六、第二七号証、乙第一号証、同第三号証の一、成立に争いのない甲第七号証の一、同第二八、第二九号証、乙第三号証の二、原告ら主張の写真であることに争いのない甲第七号証の二ないし六、証人鎌田耕治の証言、原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸尋問の結果、検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 本件事故当日一日の本件踏切を通行する電車運行回数は、上り八三本(うち八丁牟田駅に停車する普通電車四二本)、下り八六本(うち普通電車四七本)、合計一六九本であつた。
(二) 本件踏切付近における上下線特急・急行電車の最高速度は、時速九五(平均速度上り八二・八、下り八七・二)キロメートル、普通電車上り七五(平均速度四七・三)キロメートル、下り七〇(平均速度四六)キロメートルとする旨の被告会社内部での電車運転士に対する作業要領の定めがある。特急・急行電車が八丁牟田駅を通過する際には、見通しの良好なこともあつて、時速九五キロメートル位で運行し、特に減速するようなことはなかつた。
(三) 時速九五キロメートルで走行する被告会社電車の制動距離はせいぜい約四四四メートル(本件特急電車の場合は約四一七メートル)である。
(四) 本件踏切から福岡方向へ二五七メートルの地点の線路脇には、下り電車の運転士に対する警笛吹鳴を促す注意標識があり、本件特急電車の運転士成澤司郎も、本件事故直前、この地点付近を通過する際、指示どおり警笛を吹鳴した。
(五) 右の地点で吹鳴した警笛音は、本件踏切付近でも十分聞き取ることができる。コンバインのエンジンを発動させた場合でも微かに聞き取れる。
5 前顕甲第六号証の五ないし一〇、同第一一号証、同第一三号証、同第二六、第二七号証、乙第三号証の一、二、同第四号証、成立に争いのない乙第二号証の一ないし四、同第六ないし第九号証、証人鎌田耕治の証言、原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸尋問の結果、検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 本件事故当時、本件踏切の東側入口には、幅員四五センチメートルの白線で示された一時停止線があり、その手前に道路舗装面上に白色で「とまれ」の文字があつたほか、北側(本件踏切に進入しようとする者にとつては右側)には白地に「見よ!」(赤色)「左右」(青色)の文字とともに左右への矢印(赤色)と左右を向いた横顔(黒色)を描いた注意板があり、南側(左側)には白地に「見よ右左」(黒色)「止まれ」(赤色)と「踏切! 止まれ」の注意板、自動車進入禁止の規制標識(「小特を除く」の補助標識あり。)、風力式回転注意標があつた。
(二) 八丁牟田駅の北(本件踏切から二〇五メートル)には、県道八女・大川線と交差する大溝一五号踏切がある。これは、第一種踏切で、遮断機、警報機が設置されている。右の警報機は、本件踏切から六〇〇メートル先の見通し可能地点に下り電車が接近する以前から鳴り始め、この音は本件踏切付近においても通常十分に聞き取ることができる。
(三) 本件踏切における踏切道改良促進法に基づく「踏切道の保安設備の整備に関する省令」(昭和三六年運輸省令第六四号)にいうところの「見通し区間」の長さは、プラツトフオームが障害となつていることを考慮して、五〇メートル未満で、遮断機、警報機を設置すべき道路交通量の基準は一日あたり三二〇〇、一時間あたり二二〇〇であるが、被告会社が昭和五三年七月五日調査した前記交通量を換算すると、一日のものは一〇一八、一時間のものは一〇二であつて、第四種踏切に該当し、遮断機、警報機の設置を法令によつて義務づけられてはいなかつた。
(四) 被告会社は、昭和五五年一〇月二二日本件踏切に遮断機、警報機を設置した。
被告会社は、昭和五一年一二月頃には、本件踏切を廃止し、約一〇〇メートル南にある八丁牟田二号踏切と統合するため、そこまで側道を新設する計画を樹てていた。これは、地元の同意が得られず、実現しなかつた。
6 証人鎌田耕治の証言によれば、本件踏切道において昭和五三年六月に一度事故があつて、これは横断者の車両操作不慣れを原因とした物損事故であつたことが認められる。
右の認定と異なり、かつて死亡事故があつたとする原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸の供述は、他人から聞いた話というにすぎず、その内容もあいまいで、これだけでそのとおり認めるには十分でない。
7 なお、本件事故発生について、前顕甲第六号証の一ないし一六、二〇ないし二二、二四、二六、同第七号証の一ないし六、同第一一号証、同第一三号証、同第二六ないし第二九号証、乙第一号証、同第三号証の一、同第五号証、原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸尋問の結果、検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。
原告光伸は、本件事故直前、コンバイン(久保田、長さ二・一メートル、幅〇・八七メートル、高さ一・二メートル)を後部から押す恰好で本件踏切に差し掛り、一時停止線で停止して左右の安全を確認しようとしたものの、同原告の停止した位置が一時停止線から二・一メートル手前であつたため、右方(北側)はプラツトフオームに阻まれて軌道上の安全を確かめえなかつたのにそれより前へ出て確認しようとせず、しかもコンバインのエンジンを作動させたままにしていたためその音で電車の警笛の吹鳴音や大溝一五号踏切の警報機の警報音を聞き取ることもできず、右方を安全なものと軽信して本件踏切に進入したところ、特急電車が本件踏切の手前約一〇〇メートルの地点を時速約九五キロメートルで進行中であつた。右電車の運転士成澤司郎は、同原告のコンバインを発見し、急制動措置をとつたものの、本件踏切内でコンバインの前部に衝突した後、更に三〇〇メートル余り進行して漸く停車した。
三 被告は、本件踏切が前記法令による第四種踏切であつて、遮断機、警報機の設置を義務づけられていないのであるから、これがないことが本件踏切設置保存の瑕疵にあたらないと主張する。しかし、右の法規は、専ら行政上の見地から踏切保安施設の設置基準を定めているにすぎないから、法令上遮断機、警報機の設置を義務づけられていないことをもつて、直ちに民法上も瑕疵のない工作物であるとはいえないことはいうまでもない。踏切道における軌道施設に保安設備を欠くことをもつて民法七一七条一項にいうところの土地工作物の瑕疵というためには、当該踏切における見通しの良否、交通量、列車回数、過去の事故歴等の具体的諸事情を総合して、列車運行の確保と道路交通の安全とを調整すべき踏切道設置の趣旨を充たすに足りる状況にあるか否かという観点から定められなければならない。そして、保安設備を欠くことによりその踏切道における列車運行の確保と道路交通の安全との調整が全うされず、列車と横断しようとする人車との接触による事故を生ずる危険が少くない状況にあるとすれば、踏切道における軌道施設として本来具えるべき設備を欠き、踏切道としての機能が果たされていないものというべきであるから、かかる軌道施設には瑕疵があるものといわなければならない。
これを本件についてみるに、前記認定の本件踏切東側の一時停止線から北方への見通しの事実を逆にいえば、下り電車の運転士は本件踏切の手前約六〇〇メートルの地点で本件踏切を横断しようとする人車の有無を確認しうることになると考えられる。前記認定のとおり特急電車の最高速度は時速九五キロメートルで、その制動距離がせいぜい約四四四メートル(本件特急電車の場合は約四一七メートル)であるから、特急電車の運転士が本件踏切の手前六〇〇メートルの地点で、同踏切上に初めて障害物を発見し直ちに急制動の措置をとるならば、本件踏切の手前で十分な距離をおいて停車しうることになる。一方、歩行者が本件踏切東側の一時停止線上に立ち、下り電車が走行して来ないことを確認して本件踏切を横断し始めた直後に特急電車が本件踏切の手前六〇〇メートルの地点に差し掛つたとしても、前記認定のとおり本件踏切の東側の一時停止線から西側の接触限界線までの距離が七メートルであるから、この距離を通常の歩行速度で横断するには、時速六キロメートルでは約四・二秒、時速四キロメートルでは約六・三秒にすぎない。時速九五キロメートルの電車が六〇〇メートルの距離を走行するに要する時間は約二二・七秒であるから、歩行者には、特急電車が本件踏切に到達する以前に本件踏切を渡り終えるだけの十分な時間的余裕があることになる。
もつとも、前記認定のとおり、本件踏切の東側接触限界線又は一時停止線からコンバインの長さに相当する二・一メートル手前に立つた場合には、プラツトフオームが障害となつて福岡方向をほとんど見通すことはできず、本件のごとくコンバインをその後部から手押しによつて操縦しながら本件踏切を横断しようとしても、その状態のままで福岡方向の安全を確認することができないから、このような場合、通常、コンバインを一時停止線の手前で一旦停め、操縦者が一時停止線の位置まで前進して右方の安全を確認すべきであり、そのうえで再び進行を開始するとするならば、その確認などのために要する時間はせいぜい数秒にすぎないと考えられるから、右の安全確認動作をとつても、特急電車が本件踏切に到達するまでにこれを渡り終えるだけの時間的余裕は、やはり十分にあるといえよう。
遮断機も警報機もない踏切を、しかもその先端から操縦地点まで二メートル余の間隔があつてその操縦位置からは左右の安全確認が比較的容易ではないコンバインという農耕作業用自動車(小型特殊自動車)を運転しながら横断しようとする者には、右のように左右の見通しの可能な地点まで前進し、その安全確認動作をすべき義務が当然に存するというべきである(道路交通法三三条一項)。そして、横断者の右義務には、たとえばコンバインのエンジンを作動させて音を立てさせておくなど自ら安全確認を困難にする状態を作出した者においてはそれに応じた注意を払うことも含まれるというべきである。仮にこの動作を怠つて安全確認をしないまま本件踏切を横断し始めたとしても、大溝一五号踏切の警報音を考慮の外においた場合、通常は、前記認定のとおり下り電車は本件踏切から福岡方向へ二五七メートルの地点で警笛を吹鳴することになつており、本件特急電車の運転士成澤司郎も現にこの付近で警笛を吹鳴させたのであるから、右の位置で吹鳴された警笛は、通常本件踏切付近においても十分聞き分けられるところであり、偶々コンバインのエンジンを作動させていた場合でも微かに聞き取りうるものであるところ、二五七メートルの距離を時速九五キロメートルで走行するには、約九・七秒の時間を要するのであるから、一般には、右横断者において警笛に気付いて電車との接触を避ける余地は十分にあつたと考えられる(原告本人兼原告吉田富士子法定代理人吉田光伸は、季節によつて南風が吹く時には、本件踏切においてコンバインのエンジンを作動したままであれば下り電車の警笛音を聞き取れないと供述する。あるいはその供述のとおりであるかもしれないが、そうであるとするならば、ここでは通常の警笛吹鳴音の聞取りだけを問題にしているのであるから、他の諸事情を考慮したうえで検討を要することになろう。)。
このような本件踏切の見通し状況に、本件踏切での事故がほとんどなかつたこと前記認定のとおりであり、本件踏切に設けられた横断への注意警告標識、警笛吹鳴などの諸事実を総合すると、本件踏切は、列車運行の確保と道路交通の安全の調整という踏切としての本来の機能を全うしていないとはいえず、本件事故当時遮断機、警報機の設置がなかつたことをもつて土地の工作物である本件踏切における軌道施設に瑕疵があつたものということはできない。
被告会社が現在本件踏切に遮断機、警報機を設置しているが、前示諸事情のもとでは、このことをもつて本件事故当時本件踏切における軌道施設に瑕疵があつたことを推認せしめる事実ということはできない。また、成立に争いのない甲第三二号証の一、二、同第三三号証によれば、国鉄鹿児島本線水城・二日市駅間の通称日焼踏切(第四種踏切)で発生した事故について、遮断機を設置する直前であつたこともあつて、右踏切を「魔の踏切」と報道されたことが認められるが、同時に、踏切をめぐる諸事情が本件と異なることも窺われるので、これと本件踏切とを同一に考えることはできない。
他に本件踏切について、その設置保存に瑕疵があつたことを認めるに足りる証拠はない。
四 そうすると、本件事故当時本件踏切における軌道施設に瑕疵のあつたことを前提としてその占有者・所有者たる被告会社に対し本件事故による損害の賠償を求める原告らの本訴請求は、その前提においてすでに失当であるから、その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 富田郁郎 川本隆 松本光一郎)